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産後の回復は日にち薬

術後二日間は、とにかく痛みとの戦いだった。麻酔がきれてくるころからいろんなところに神経が行き届くようになってくる。
三時間おきくらいに看護婦さんが様子を見に来てくれた。痛くない?我慢しないでね。と、必ず言ってくれる。

パパが、お友達に一斉に報告写メールを送ってくれたから、おめでとうメールが真夜中まで止まらず30件を越そうとしていた。幸いその返事をせっせと送ることで痛みからは多少逃れられていた。・・が、だんだんそうも言ってられなくなってくる。

お腹の中から内臓をえぐられるような、あり得ないほどの痛みが断続的に波に揺られてやってくる。まともに呼吸ができない。気が遠くなる。

二人目の産後は収縮痛が陣痛並みと聞いていた。その通り!陣痛ならまだいい。これから感動が待ってる未知への希望がある。こっちは、感動さんざんした後だから、どうしようもない。痛みをタダで受け入れるしかない。後払いは精神的につらい・・・・。

確かに出産って大仕事だけど、どういう方法が楽かとかあんまり考えないほうがいいね。考えれば考えるほど、終わった後にどれだけ無駄だったかわかると思う。小さい頃、自分がどんな人と結婚したいか考えるのと同じぐらい結果が伴わない確立が高い・・・・。

そうして私も突然の緊急オペで産んだので、立ち会えなかった義母が二日目に飛んできてくれた。
ホントにホントに嬉しそうだった。もともと無邪気な人なんだけど、輪をかけて無邪気だった。
そのうち私の母も偶然合流して病室は異様なテンションになっていった。私は昨日からのことや、赤ちゃんの様子なんかをいろいろと話をした。
かれこれ3時間ほど・・・何も飲み食いできるはずもない術後の私に何度も『食べる?のむ?』と、いろんなものを勧めてくれる二人の母・・。
二人には状況がまったく読めてないようだった。楽しそうにお赤飯をほおばっていらっしゃる・・。『ごめんね。食べられない人の前で。』といいながら。
樹里とパパが来てくれたので、なんとか間は持つようになって少し楽になった。
夕方近くになって、そろそろ帰らないとね。ってはなしになると樹里がメソメソ泣き出した。ベッドのところで私から離れない樹里に、
『ほらほら、ママはしんどいのよ。あんまり長く起きてたらかわいそうでしょ。寝れるときに寝かせてあげないと』

エエーーーーーッ?よくゆうよーーー!って言葉を必死でのみこんだ。

そういって、ばたばたと帰っていかれた。

結局、今日は安静に、あまりしゃべったりもしてはいけないよ。静かに寝ていてね。と言われていたことを最後まで言い出せなかった。言う必要がある事態になるなんてことも考えていなかったもんだから・・。

その夜、忠告を守らなかった私は、前夜、一睡もしていないにもかかわらず、痛みの冷や汗でびっしょりになり、痛み止めを打ってもらった。

三日目の朝、深呼吸ができるようになった。すごい進歩。
人間の体ってすごい。ひとつは、一箇所でも切られるだけで体全部が不自由になる。たかが膝を少し曲げるのに、こんなにいろんなところの筋肉が働くんだ・・。頭をすこし動かすだけにこんなに腹筋を使うんだ・・。
すごいメカニズムだってこと。もうひとつは、一日一日、確実に回復して完璧に正しくもとに戻っていくこと。ひとつひとつ楽になっていく。

『産後の回復は日にち薬やからね。』
という看護婦さんの言葉で、気持ちが楽になった。痛みや不自由さで完全にくじけていたけど、今日より明日・・と思えるようになった。

点滴の針が、ようやく抜けて腕が軽くなった。両手を使えるようになって蒸しタオルで顔を拭くことと歯磨きが毎日の楽しみになった。そして、オシッコの管をぬいてもらうことになった。これで自由になれる・・・・。

流動食もはじまった。離乳食そのものだけど、味のあるものが口にはいるだけで『ありがたや・・ありがたや・・』
パパにメールをうった。

人間、健康第一よ。大切にしないとね。

生まれるということ

樹里が産まれるとき、破水が原因でとても難産だった。分娩室に入っていきみ始めてからが長かった。かれこれ7時間。その間、うつろな意識の中で私は強く感じることがあった。

命は 強い意志を持って 産まれてくるんだ

理由はわからないけど、どうしてもどうしても、そう感じた。
あんなに狭いところから、小さな命が地鳴りのようなエネルギーを発して合図してくる。
痛みでパニックになっている私の呼吸にちゃんとリズムを合わせてくれる・・・

す・・すごい・・!!!
産道をうまく体をひねりながら通るのは、死に匹敵する痛みだといわれている。それでも、ひとつも揺るがない『産まれるんだ』という意志。

もし、それが本当ならば、
産まれてから死ぬまでの間に、人は、あそこまでの強い意志を持つことがあるだろうか・・

もし、胎児が何の気なく10ヶ月お腹の中で大きくなって、母体の都合で陣痛を起こして、産み落とされるのであれば、ただの便秘?回転しながら自分の体を壊さないように前進したりしないだろう。あんなに全身振り絞って産声なんて上げないだろ。すやすや寝てるか、死んでしまうか・・・。

それに、こっちの方も赤ちゃんの誕生に感動なんて無いだろうし、命を大切なんて発想が沸かないだろうと思う。便秘で苦しんだすえ出した胎児を『スッキリしたー・・』みたいに、とっとと水に流せるくらいにしか思わないんじゃないかな・・・。

命は大切=生きる  というのは、そこに強い意志と魂があったからなんじゃないかな・・。
ちなみに、 死ぬ=恐い という感情を誰もが持っているのは産道を通るときの恐怖体験が人間のトラウマとなっているかららしい。

でも、不思議なことに、オギャー!!と言ったその瞬間から化けたように、この人間界で最も弱い可愛い存在となり、その愛らしさで私たちを癒してくれる。
さっきまで、最強の勇者のように勇敢で知的だったのに・・・。
産道を通る胎児のエネルギー。私は痛みを逃すための呼吸をしているだけで、胎児に導かれて時を待つしかない。

産んでやった・・なんてとんでもない。大人はなんてちっぽけなんだろう。
実際、赤ちゃんは可愛い。母性をくすぐって、守ってあげたくなる。
でも、それ以上に私は生きる気合を感じる。すべてを受け入れる見返りを求めない偉大な愛や心も感じる。偉大だな・・・・と思う。

・??? ・・とか言って、現実は私はお母ちゃんなので、そうはいかない。
こんなに偉大だと絶賛していても、2人の娘をそれなりの扱いで生活しているんだけど・・(笑)

でも、いつまでも忘れずにいたい。
私の体に自分の命を託してくれた二人の偉大な天使の意志を・・・
そして、決して無駄にしないように、愛していきたい。

はなちゃん誕生

予定外にもかかわらず、さらに予定より10分ほど早く看護婦さんが迎えに来た。
『さー、行くよー・・あれ?お主人は?』
『あ、そろそろ帰ってきます。忘れ物取りに・・』
『後でいいのにー・・』

って・・・まさか、パパのいない間にはじまるの???
でも、そんな甘えたこと言う歳でもなかろーと、樹里に待っててね。と言って病室を出た。樹里は黙ってうなずいた。それでなくても不安で固まっているのに、あまりにも可哀想だった。普通にあるいて手術室に向かう。

これ・・夢じゃないよね。たしか、感動の出産ドキュメントの本番だよね・・・。先生はポケットに手を突っ込んでフラフラ歩きながら私に言った。
『オレ、明け方弱いねん。夜は割り合い強いねんけどな・・。眠たかったらかなんやろ。ボーっとしてしもて。せやから、起きとる間に切ってまお。まだ眠むたい時間ちゃうし。』
・・・・・『はあーーーー・・確かに・・・』

こんなはずじゃーなかった。こんなシーンじゃーないはず。もっと、・・・そう、ドラマであるみたいに、ガラガラベッドに点滴ぶらさげて、家族がベッドの横を歩きながら顔を覗き込んで『がんばれよ』『ママ、がんばってね・・』みたいな・・で、手術室の扉がしまって、上の〔手術室〕って書いてある赤いプレートがピコンと光るんじゃあなかった?

そうまでいかなくてもさあ・・と、ブツブツ考えていると幸い、入口でパパとバッタリ。先生から簡単に説明を受けて、パパは丁寧に先生に頭を下げて、じゃあ、宜しくお願いします。と、笑顔で去っていった。成り行き上、私も普通に『あとでねー。』と、手を振った。

こんなはずじゃー・・は、まだまだこれで終わりじゃなかった。
これから、帝王切開の手術をする可能性のある人のある意味参考になれば幸いです・・

まず、始まる前の手術室は仕事の後の女子更衣室状態。

この前のお茶はいくら飲んでも痩せないだの、婦長はデブだの、どうやらダイエットの話題みたいだった。手術台に寝転がっていた私も、参加しようと『玄米はいいらしいですよ』と割り込むと、『ありゃー、ウ○チは出るけど痩せへんよ』・・と、あっさり終わってしまった。

フンッとか思っていたら陣痛が強くなってきて、深呼吸して腰さすってたら、気分悪い?と聞かれたもんで、『いや・・陣痛が・・・・』これで少しは場の雰囲気も変わるんかいなと思ったけど、

『さすが早いやん。懐かしい痛みやろ』と、笑顔で言っていただいただけで、ダイエットの話はさらに盛り上がっていった。
さて、先生がオペ服に着替えて登場!
いよいよだ。リラックス・・リラックス・・。

麻酔の説明をうけて、ピンクの布をターバンのように頭に巻かれて私はスッポンポンになった。麻酔をうった。プチっと背中にピンセットかなにかで印をつけたのかと思ったらそれで終わりだった。

ぜーんぜん痛くない。楽勝!私のスッポンポンのほうがイタイ・・・。

『おおーー一発できまったぜ』と、先生も満足そうだった。

『廣瀬さん、痛なかったやろ?ゆうとくけど、めちゃめちゃうまくいってんで。いま。』
ほんと、自画自賛・・
とたんに、ビーリビリビリ・・足がしびれてきた。

余談だけど、麻酔には二種類あるらしく、事前にどちらがいいか、決めさせてくれた。

その選択というのは、

★ガーーーっと効いて、ガーーーっと覚めて、そのあと、まる一日死ぬほどいたいやつ。その代わり下半身だけなので産声がはっきり聞こえる。

もしくは、★ジワジワーーーっと効いて、ジワジワーーーっと覚めるから、後は比較的痛みはゆるいけど、手術中から痛いやつ。産声は遠い意識の中・・・・・・・

わかりにくい説明だけど、充分伝わってきた。

エーーッ。究極の選択??私は散々どっちがいいのか、聞いたけど、好きな方選んで。といわれる。

私の性格にはどっちがいいか決めろって。ちなみに、足して2で割ったようなちょうど良い方法はないらしい。

迷ったすえ、ガーーーっと効く方にした。それは、産声をはずせなかったこと。

それと、どの道いつかは痛い。

ネックは、後者の・・比較的後の痛みはゆるい・・・ってところ。どちらかしか体験しないのに比較できない。

信用できない。何を基準に比較的とか言うのさ。死ぬほど痛いのと、ゆるい痛みの差がわからない。

恐怖心からか、私はずいぶん卑屈になっているたのかもしれない。

言葉のとおり、ガーーーっと効いてきた。足を持ち上げられたのも、確かに見ると私の足なのに、何も感じない。触れる感覚も全くない劇的に不思議な感覚。そして、両足を分娩台にかけられて、片手に点滴。もう片方には血圧計を巻かれた。

状態をまとめてみると、私は・・・
スッポンポンで、頭にピンクのターバンを巻いている。
両手両足を広げて、仰向けになっている。しかも、点滴に血圧計にしばられて・・・
まわりでは、先生はじめ、スタッフの人が忙しそうに動き回っている。こんな姿・・・
ああーーーー泣きたい。

しかも、オシモの毛はロナウドの頭のように剃りあげられているのよ!!『実験台のカエルみたい・・』というと『まあ、そんなとこかね。』と、先生。

きっと、ドラマのように家族に見送られていたとしても、私はきっと、この時点でおわってる・・・
ようやく、上からいろいろカバーがかけられて落ち着いた。

息が苦しくなってきた。麻酔の影響で血圧が急激に下がるかららしい。

断続的に血圧が
読み上げられる。

『廣瀬さん、わかる?大丈夫よ気分悪くなったら我慢しちゃだめよ。吐いてもいいからね』マジ・・苦しい・・。目がうつろにしか開けない。

『広瀬さーん、これ、痛い?』と聞かれ意味がわからず、『は??』と言うと
『よっしゃ、OK,はじめよう。』どうやら、麻酔が完全にきいたらしい。

ようやく部屋中に緊張感が張り詰めた。先生の第一声は『メス』じゃなかった。私って、やっぱりドラマチック意識しすぎ。聞いたことのない言葉だった。

いずれにしろ、なんだか器具の名前。お腹でジョキッジョキッってはさみのような感覚。そのうち、何かを感じる余裕がなくなっていった。

意識が遠くなって・・・
『さあ、赤ちゃんもう出るからね。がんばってよ!』
の声で我にかえった。二、三回身体が大きくゆすられて、オエーーーッって思ったとき。

『フギャーーーーーーーッ』と産声が聞こえた。
おめでとうございまーす。
看護婦さんが声をかけてくれたけど、うなずくことしかできなかった。

『ちっこい女の子やでー』と先生。すぐに見せてくれた。ホント、小さい!でも・・
可愛いーーーーー?
私は残りの体力を全部ふりしぼって『ひえーーーーかわいいーーー』と、叫んだ。

『きれいにしてまた見せにくるわね。』といって、沐浴をさせて.もらいに出て行った。
私は、パパや樹里は赤ちゃんと対面できるのか気になった。早くふたりに会いたい・・。

私の体は、いろいろと後の処理をしてもらっていた。

その間、感動で放心状態の私に、先生がいろいろ話をしてくれた。すごくスムーズな手術だったこと。子宮の中がすごくきれいだったこと。おまけに、赤ちゃんが出たとき、子宮に押されて寄っていた腸がモコモコと勢いよく戻ってきたこと。私の肉厚がだいたい内臓から皮まで1.5センチぐらいあること・・・・。

先生にそれは大切なことなのか、いいことなのか聞いてみると、別に・・・。とのこと。真剣に聞いて損した。

でも、考えてみると、私は心の中を全部さらけ出せたパパを好きになって、結婚したけど、先生には心どころか、裸どころか、内臓までさらけだした。後にも先にももう、パパでさえも見ることはないだろうに・・。だからって、どうしようもない!!
っていうか、こんなこと考えてる私がどうしようもないのかもしれないけど。

目を開けると、パパが立っていた。何を話したのか覚えてないけど、ホッとした。
内臓・・見せてあげたかったな。・・・はい、うそです。
部屋に帰るのはさすがに歩いてではなかった。運ばれる途中新生児室の前を通ると、
父と母がガラスに張り付いて赤ちゃんを見ていた。遠慮がちに私を見ている樹里に『おめでとう、おねえちゃん』というと、うれしそうに笑ってくれた。

その日は、もうあまり、しゃべらないように。といわれ寂しいけどパパと樹里は帰ることに。その入れ違いに赤ちゃんを部屋に看護婦さんが連れてきてくれた。
みんな帰ったというと、なんと、猛ダッシュで連れ戻しに走ってくれた。なんていい人なんだろう。幸い駐車場でつかまって、しばし部屋でビデオ撮影タイム。

幸せなひととき。これからはじまる地獄の痛みなんて想像もできない・・・

こうして、2003年12月15日  花奏ちゃん誕生。

ママへ
ママがんばってね。
おなかきるの。
わたしもおおえんしているよ。
もちろんぱぱもおおえんしてるとおもいます。
ハナちゃんもおおえんしてるよ。
うまれたらみんなでおいわいしようね。
もちろんママパパジュリハナちゃんでね。
みんなもよぶよ。
たのしみにまっててね。

じゅりより   『手術のまえ、病室で、こっそりくれた手紙』

ありがとう。じゅりちゃん。ママ、この手紙のおかげで最後まで頑張れたんだよ。

二度目の出産

八ヶ月目からの逆子が結局治らず、帝王切開となった。今から思えばハイヒールモモコさんのドキュメントは虫の知らせのようなものだったな・・。間際までは実感がわかなかった。12月16日と決まった日から、長かったような短かったような・・・。とにかく毎日毎日その日に向かっていたなあ・・・。時を待つー。みたいな・・。

二日くらい前からか、緊張なのか何なのか自分でも分からないくらいブルーになっていた。私にはめずらしく、無事を祈る緊張感。それから言いようのない不安感。

また、何かが変わっていくような不安に襲われていた。

たった、一度の悲しい体験がこんなに深いものだとは思わなかった。

私は、いわゆるドメンスティックバイオレンス体験者の片割れで、樹里が産まれて間もなく逃げ出した。その始まりが出産だった。妊娠中に相手に女ができて女房子供がうざくなった・・ってパターンで、どうしようもなかった。

出産を無事終えた病室に元夫が入ってきて『お前気持ち悪いんじゃ!日曜なんかに生んだら、俺、来なしゃあないやんけ。あんな気持ち悪いもん見たらもう人間としては見られへんからな。』そういって帰っていったのが地獄のはじまり。

出産=破壊。あのときの空気や状況が甦ってきては消えて・・・心配して慰めてくれてるパパに何をどう話していいかわからず、入院前日の夜、涙が止まらなくなってしまった。

泣くだけ泣いたらすっきりした。今の私にはパパと樹里がいるじゃないか。

何も聞かず、ただ泣き止むのを静かに待っていてくれるパパに救われた。またひとつパパのおかげで過去をひとつ乗り越えた。そう感じることができて、寝て起きたら何もこわくなくなった。

ドラマで竹之内豊がいかりや長助に『乗り越えられない過去はない』って言われていたのを思い出した。無意識の意識化をして悲しみにくれることから人は踏み出せる。全くもってそのとおり。

結婚してから、辛い思いや涙の数だけ強く優しくなれるって言い聞かせて頑張ってきたことが少し違ってたと思うようになった。それを踏み台にして力いっぱい飛ぶのもパワフルになれるけど、悲しいことを悲しいってちゃんと思えるほうが勇気がいる。

でもそれって、受け止めてくれる誰かが必要なのかも。そのために人は一人じゃ生きて行けないなんていうのかも。

なにはともあれ、私は二度目の出産をするときがきた。

12月15日。入院の日・・・天気は晴れ。

我が家の壁は、10日間の留守番のために私が作成した張り紙がびっしり。日々の流れや樹里のためのお手伝いや生活目標。フルカラーで挿絵つき。しめしめ・・樹里ははしゃいで何度も読んでいる。がんばってね!!そして、朝からしばらく離れる愛しの台所をきれいにピカピカにした。なぜ愛しいかというと・・キッチンから見えるパパと樹里の姿や笑い声のBGM.。ご飯よーの一言でみんなが集まってくる至福の場所なのです。

それからお風呂に入った。晴れた日の昼間のお風呂は、窓からの木漏れ日美しい最高のシュチエーション。湯気が窓からスーッと抜けると裏山の緑がキラキラ・・。

お風呂上りに記念に写真をとって、大きなお腹と別れることにした。不思議な気分・・・・

病院の前にフレンドリーでランチ。3人だけの最後のランチ。これからは4人。なんか、とってもとっても特別で大切な時間に思えた。

いざ、病院へ。自分で車を運転していった。いつだったか雑誌の投稿で、陣痛が来たのに誰も連絡がつかず、自分で荷物を積んで車運転して病院にいって、ぎりぎり間に合ったたくましい妊婦さんの体験談を読んで、私もやってみたい・・・って密かに思っていたから嬉しかった。くだらない・・・・でも、優しいパパは知っていながら『自ら運転して入院するなんてスゲー』と、一応子芝居をうってくれた。フフフ・・・

私の部屋はオペ用らしい。一番奥の広い部屋。ホテルにチェックインした気分で浮かれていた。もーここまできたら、ワクワクするしかない。樹里も興奮してた。ふたりとも、もうすぐ大きな出来事がおこる不安をかき消すかのようだった・・。

着替えてシャワーあびて、説明うけて分娩室にオシモの毛を剃られにいった。どんな風だかきになっていたが、剃られてみた感想は、『そこまで剃るなら全部そってくれよ・・・』と、つぶやきたくなるような・・・例にあげて申し訳ないけど、ワールドカップのロナウドヘアか、子連れ狼の大五郎かよっ!!って感じ。

そして、内診を受ける。すると破水を起こしかけているとの事。ま、明日に切ることだし、大丈夫でしょう・・・とのこと。でも、その数分後、子宮口が2センチ開いてるので、院長と今後の流れを相談しますと言われた。

看護婦さんは、余裕で今のうちにしっかり食べてなさい。今夜から絶食だからと、夕食を運んでくれた。

遅いランチでいまいち食欲もなかったけど、しばらくまともに食べれないのでしっかり食べた。すると、助産婦さんがやってきて、今夜にも手術になるかもしれない。といわれた。ビ・ビ・ビックリ・・・・。動揺しまくり!!パパに言ってもさすがに彼は冷静な人。さっき暇つぶしに借りてきた図書館の本を読む姿勢をピクリともせず、『あ、そう』とニッコリ。ここは病院なんだからもうあせることなんて何もないから・・・だそうだけど、そんな問題?赤ちゃんの心音を計る機械をお腹につけてドクドク・・・と、病室の中に鼓動が響き始めた。

『大丈夫と思うけどご主人も今晩は連絡つくようにしておいてね。』とのこと。まさか、そんな・・・・

しかし、しかし・・しばらくして助産婦さんが走りこんできて

『廣瀬さん、お腹はってるやろ?陣痛やで!10分おきにきてる。すぐ切るよ!!』すぐって、ホントにすぐモニターが運ばれてきて先生とヘルプの看護婦さんもずらずら部屋にはいってきた。えっ?なになに??????

そして、逆子のままですね。って先生が言った瞬間・・・レッツゴー!!って感じで準備に散っていった。しかも賑やかにめちゃくちゃ嬉しそうに・・まるでドリフのコントみたいに。

だって、まだ手術の承諾書も書いてないよ。時間まで30分ほどあったから、パパはハンコを取りにいったん帰宅。陣痛う?信じられない。でも、もっと信じられないことが・・。

ものの20分ほどで陣痛がグングン進んでいくではないか・・・!!!

ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれーーー!!すっかりハナちゃんのペースじゃん!!

2002・3・21生駒保育園卒園式

2002・3・21生駒保育園卒園式

何日も前から、この日のことを考えると、私のほうが緊張していました。家に帰ってから披露する歌を娘が口ずさみ、そのたびに涙がすでにあふれそうになったりして。

「ママよりじゅりのほうが、ずっとドキドキせなあかんねんで」・・「そうやんな・・」

卒園式の一月ほどまえ、保育園に迎えにいくと、車の中で樹里が急に泣き出したことがありました。

「どうしたん?ケンカしたん?」
「おやつのとき、カヨ先生(担任の先生)の隣にすわれへんかった・・」
「また今度すわれるやん」
「もうすぐ、お別れやねんで!いやや!あとちょっとしか、あわれへん・・」

そう言って号泣。こんなにちいさい子供が、別れるさみしさをこんなに噛み締めて胸をいっぱいにさせているなんて、感動しました。

何日かして、
樹里が唐突に「ママ、うちには、いつ赤ちゃん生まれんの?」ときいてくるので、
いつものように「神様が決めてくれはるし、ママもわからへんわ」と答えました。
「はやく、生まれるように祈ったら?」と、
あまりにもこだわるので、「どうしたん?急に。」と聞くと、
「あんな、赤ちゃん生まれたら、いこま保育園にくるやろ。じゅり、毎日お迎えにいくねん。ほんだら、カヨ先生にあえるからな、」目をキラキラさせて、説明してくれました。
仲良しのチーちゃんが、提案してくれたそうです。チーちゃんには年少組の妹がいるので、その根拠はとても納得。
それからは、「もうすぐ卒園さみしいね」と話かけると、笑顔で「なんでよ、赤ちゃん毎日迎えにいくねんから、さみしくないやん!」と、答えてくれました。・・・(オイオイ・・マジっすか?)

思いもよらないプレッシャーをかけられた私。
でも、なによりあの子なりに、心が整理できて、残りの園生活を楽しめるようになってよかったです。じゅり、赤ちゃんってたとえ、今すぐできても、生まれるまでに10ヶ月、保育園にいくまで、短くても半年・・・・ま、いいか。

卒園おめでとう

空はくもり。熱は下がらなかった。

午前で終わるので、とりあえず、出席することに。一生に一度の晴れ舞台。さんざんな目にあった樹里でしたが、おかげで、歯痛は治ったってことで・・・・

気力は十分!元気!パパも初の保育園で、ふんぱつして買ったデジタルビデオの使い方もバッチリ!ママも新しくこの日のために買ったスーツでバッチリ!!ただ、ママは、すでに緊張していました。「はー・・緊張する・・」と、連発。

園に着くとさっさと樹里は胸に花のバッチをつけてもらって友達の輪の中へ飛び込んでいきました。ちょうど仲良しママさんもちらほら見えたので、旦那さん紹介タイム。

「いつも奥様にはお世話になっております。」「いえいえ・・」なんて。ふと見ると、保護者の席は一人分だけ決められていて、それぞれに、記念品の入った紙袋が置かれていました。
その順番は五十音順でもないので、友達に聞いてみると、通った年数の長い順番ということでした。「なるほど、納得。キャリア順ね。」最前列は、赤ちゃんのときからがんばった、そうそうたるメンバーのお母さん。私は、途中から転入してきたので、真ん中ぐらいでした。

ようやく、席についたころ、ピアノの「翼をください」にのって、静かに卒園児が入場してきました。主人のほうを見ると、早速ビデオスタンバイ。樹里の姿が見えた瞬間、ぐっと緊張したけれど、カヨ先生の可憐なはかま姿に歓声がわき、我に返りました。しょっぱなから、卒園証書授与。
園長先生が「あなたは、友達といっぱい遊んで、いろんなことができるようになりました・・・」と読み上げ、先生が一人一人名前を読み上げます。先生の震える声。一人一人への想いがつたわってきます。

「青3くみ・・」カヨ先生が緊張して振るえる胸をおさえながらはじまりました。「みやきあんなさん。いけたにまさきくん。なかがわあかりさん・・・」

「ひろせじゅりさん」「はいっ!」

その瞬間、時間が止まりました。涙ではっきり見えない。こみ上げる嗚咽をこらえるのに必死でした。頭のなかは、いままでの思い出でいっぱいです。

いやだ!いかない!って、まだオムツのとれないころ、毎日泣いたよね。
せっかくできたお友達と離れて、いこま保育園に突然の転入。
私が一番不安定だったころ。二人で暮らしはじめたよね。
「ママ、お仕事行かないで。樹里と一緒にいて!!」って、春も夏も秋も泣いたよね。
はじめて、泣かずに行ってらっしゃいした日、ママが泣いたよね。

笑ってバイバイして、泣きながら保育園の階段一人で上っていったよね。
「ママ、お仕事がんばってね、樹里もがんばるからね」って、毎日、見えなくなるまで見送ってくれたよね。
青組みになった日、ママは、成長した樹里を見て感動しました。

パパがまだいないころは、いつも「ママ、樹里がいるからだいじょうぶだよ」
って、いつもいつも、励ましてくれたよね。

そして、パパがきて、「ひろせじゅり」になりました。
はじめての、パパがいる運動会。前の運動会は、ママはまだ弱虫だったのでくやしくて、さみしくて、少し泣いてしまいました。

でも、そのときは、樹里の力強い太鼓をたたく姿にただ嬉しくて泣きました。
いろんなことが、あったね。
よく、がんばったね。つらいこと、いっぱいあったでしょ。いっぱいがまんしたよね。

樹里はえらいね。ありがとう。ありがとう。

さよなら 僕たちの 保育園
僕たちの 遊んだ庭
桜の花びら 降るときは ランドセルの一年生
たくさんの友達と ここで過ごしてきたね
何度笑って 何度泣いて 何度、風邪をひいて・・・

子供たちの、天使のような歌声をかみ締めながら思いました。
保育園に二歳のときから預けて、いままで毎日10時間もの時間を保育園でこの子は過ごしてきました。歌のとおり、泣いたり笑ったりしながら。すごい!!!
なんだか、親ってちっぽけだな、と思います。たかが一日のうちの数時間、一緒にいるだけで。それでも、「早くしなさい!」「かたずけなさい」「食べなさい」そんなことばっかり連発して、いま、感動の涙を流してる。さらに、子供たちは声をあわせて
「おとうさん、おかあさん、ありがとうございました!!」と挨拶してくれている。「いえいえ・・とんでもない・・」おもわず、そんな言葉が頭に浮かびました。

ステップファミリー

ステップファミリー

私達のような、どちらかが連れ子で再婚。

とか言う理由で、血のつながりのない親子が存在する家族を、ステップファミリーと呼ぶらしい。

なかなか・・いかした名前じゃんっ!(^v^)とも思う。でも、やっぱり『いろいろ、大変なんだろうな・・』て、イメージを持つ人は、たくさんいるんだろうな。

我が家のことを、軽く解説すると、
私が子連れで離婚して、樹里が5歳まで、いわゆるシングルマザーだった。
パパは、初婚。清く正しくのんびりと、42年間きたらしい・・
パパと樹里が、血縁のない親子。

良いのか悪いのか、私は樹里に事情をオープンにしてきているので、
産みの父親のことは全く覚えてはいないが、ママはその人とうまく行かなかったから離婚した。
うちは母子家庭だから何かと協力してがんばって生きていかなければならない。っていうことは、少なくとも頭では理解してくれていた。

だから、頭では、これから、ひろせにいちゃん『友達時代のパパの呼び名』が、パパになるんだ。ということも、説明して一応、ママが好きなら仕方がない。・・・と、承諾を得た。そこに、このたび花奏が産まれた。
という具合の組織である。

確かに、いろいろ考えた。なぜなら、すべて手に入れたのは私だけだから。最愛の娘。最愛の男性。
だから、これから私の描いているストーリーどおり、イメージどおりにいかないことも多々、巻き起こる。
ちゃんと全体を見て乗り越えていけるのだろうか・・・。

もし、私だったら樹里のように、母親が愛する人だからといって、悩みながらも受け止めることが出来ただろうか。
もし、私だったら彼のように、愛する人の子供だからといって、親となり愛していく決断ができただろうか・・・

娘を渡さなかったのも、彼と再婚したのも、単純に自分が幸せになりたかったから。
誰のためでもない。そのことで、彼や樹里と幸福感を共有できているならば、私は心からこれでよかったと思える。

あまり常識にとらわれたくない私でも、結婚して家族になったときから、『本当の家族』『本当の親子』という、答えは誰が決めるの?なんて屁理屈を言いたくなるようなことに、多少なりともとらわれる。
いろいろ、説明がつくようにしておいたほうが良いこともあるから・・・
本当の・・・っていうのは、「血縁」のことをさしている。
血のつながりなんて関係ないわ!!!って、よく言うけど。私は、そのことで熱くなるつもりはない。だって、関係あることも絶対たくさんある。

ただ、親子、家族のことで悩んだり、トラブルが生じたとき、問題の源はそこにはない。と、言いたい。

家族なんちゅうもんは、もっとシンプルなものだと思う。
要はメンバーみたいなものじゃないかな。身内、とか家族といっても、そのメンバーの質は名前や血縁ではなくて人間関係そのものだと思う。

だって、建前がそろっていても、人間関係がずさんであれば『本当の・・・』なんて意味わからん。ってことになる。

私と樹里、ふたりのメンバーにパパが加わってはじまった私たち。パパと樹里の

親子関係は家族になったからって、自然になっていくものではない。人としての関係、父と娘としてのけじめは、ケンカしながら、悩みながら、話し合ってルールを決めて作っていった。

それは、それぞれが尊重しあいながら向かい合うことでしか、作れない。他人以上に時間をかけて・・。
たとえば、パパは、我が家のボスであること。普通の生活が守られているのはパパのおかげ。でも、あとから加わった新入りでもある。これは、無視してはいけない。
私と樹里がどんな風にやってきたかを、たくさん語って教えてあげる。パパはちゃんと聞いてくれる。
樹里の言うことでも、知らないことは素直に聞く。新米だから。
『こういう時って、父はなにをするの?』なんて、聞きながら。でも、そこに彼の意見があれば、私は父の意見としてちゃんと聞く。そして、ボスの意見を優先する。樹里もだんだんに、それがわかってくる。
そして、私は妻であり、母であり、家事全般、健康管理、節約、子供の叱り役の部分を担当。2人は、たまに、『大変そうやね、ごくろうさん』と、声をかけてくれるので、がんばってしまう。
樹里は、子どもなので普通に甘えたり、時には叱られたりしながら楽しくすごしてくれればそれでいい。自分は守られて、愛されてあたりまえって思っていて欲しい。

家族って、人間関係のいちばん大切で、めんどくさい部分をフルに発揮する場だと思う。
ありがとう。 ごめんね。 お願いします。 とんでもない、喜んで。 愛してるよ。 お疲れ様。 がんばってね。
と、あたりまえに家庭の中で言える、質のいいファミリーでありたいと思う。

私はラッキーだった。ステップファミリーとしてスタートしたからこそ、じっくり考えて感じることができた。
自信をもって子供たちに伝えていきたい。

私は、『親しき仲にも礼儀あり』という言葉が大好き。
そして、家族とは?と聞かれたら、『最愛の他人』と、答えるでしょう。

新聞記事内容

取材はありがたいことです。

子連れ再婚している人は、とっても多いのだけど、なかなかわからない。

簡単な記事だけど、ステップファミリーを応援できたらなと思っています。

この、取材のおかげで、ほったらかしていたHPに手を入れることができました(笑)。

前のホームページには、すでにやめているメールカウンセリングやセミナーの情報が載っていたからね。

書籍も、版元品切れでそのままにしていたけど、記事になるとわかって慌ててe-bookにしました。

結構忙しかった。

おいおい、以前のサイトに載っていたエッセーなどをこっちに移します。

また、来年あたりセミナーができれば嬉しいな(笑)。

2008/11/1朝日新聞に

2008/11/1の朝日新聞の朝刊、家族欄に私たちの家族が取り上げられました。

ステップファーザーを持つジュリを取材をしようと来られたようですが、
さすがいまどきの中学1年生

「うーーーーん、わからん」

「覚えてない。。。」

そうだよね(笑)。当時の心なんて覚えてないのが当然です。

子供は、”今を生きている” からね。

ということで、親が取材の中心になり、ジュリは記事の写真で目立ってました(笑)。

過去の取材

記事になりました(ステップファミリーがメジャーになると嬉しいです)

2006年3月共同通信社

※記事をクリックすると大きくなります。

共同通信社に半年ぐらい取材を受け掲載されました。
スマコミスタッフのチカゲさん、BBSに常連のまりゅちゃんが取材を受けてくれました。
2006/3月末から5回連載。
共同通信社から配信され多くの地方紙に掲載されたようです
新潟日報(新潟) 大分合同新聞(大分) 中国新聞(広島) 山陰中央新報(島根)

2005/5/9 日本経済新聞

朝刊 7面

未知なる家族「それぞれの今、未来」

未知なる家族、現代のいろいろな形の家族のひとつとして、子連れ再婚が取り上げられたのです。(^^♪
日経新聞の全国版ということで旦那は驚いてましたが、私は???(凄い事のようです)
実は、ココだけの話、5月3日(祝日)の一面にもっと大きく掲載の予定だったのです。JR福知山線の事故の影響で記事が飛んだのです。(>_<)

2005/4/8発売 VERY 5月号

雑誌の記事はクリックすると大きくなります(PDFファイル)

「再婚者の言葉から見えてくるものは?」
実は、ライター(加藤彩)さんは、昨年のVERYに掲載されたのを知らなかったのです。(@_@)
東京開催のセミナーに出席して取材の依頼をしてくれたようです。

2004/6/7発売 VERY 7月号

「新・二度目の自分探し」
というコーナーで、子連れ再婚で再出発したVERY世代ってことでお話させてもらいました!

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「再婚」「子連れ再婚」というカタチを社会に伝え
どんどんメジャーにし
そして、あなたの「決断」をあなたの新しいファミリーを全力でバックアップします。

将来、離婚した。
子供がいる。再婚する。
という、なんか「仕方がないような」順序や流れを
「自分の出逢ったファミリーと生きていく」という、新しい大きな流れに変えたい。
結婚や家族というカタチに悩む人達が「妥協」して選択するのが「子連れ再婚」するんじゃないんです!
未来に、大きな虹がかかりますように・・・。

 詳しくは⇒

 

 

 

 

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